Porcupine Tree「Fear Of A Blank Planet」 

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昨年の2度にわたる来日(例のUDOのアレと11月の単独公演)で可哀相になるぐらい少数のオーディエンス(私が観に行ったZEPP OSAKAでは2000人入る会場に250人ぐらいしかいなかった)の前で素晴らしい演奏を披露したPorcupine Treeの新作。日本でブレイクしたら昨年の来日、伝説になるのにな。

オビやブックレットで2曲目“My Ashes”の日本語表記が「マイ・アッッシェズ」になっていて軽く呆れた後(レコード会社の人、誰か気づけよ)ライナーノーツに目を通してみると、文体がいかにもマサイトー風味のそれ(私は途中まで何の疑いも無く「ライナーは伊藤政則」だと思って読んでいた)なのに名前のクレジットがない。何故だ。そもそもマサイトーの文章ではないのかも知れないが、仮にコレがマサ本人の文章だったとしたら、アレですかね、マサイトーにアレルギーを持っている人に対する配慮というか対策でしょうか。なんで皆、そんなに彼を嫌うか。

話を作品の中身に移そう。力強さに欠けるヴォーカルが埋もれていたヘヴィ路線と、かったるいサイケ路線で前後半が二分されていた「Deadwing」から、「Absentia」的な冷たい感触の統一感のあるサウンドに戻っているのだが、ドラムを筆頭に、音が妙にこぢんまりしていて、ギターがザクザクしていようがドラムが手数の多いフレーズを叩き出そうが、あまりメタリックな感じがしない。

その点、少々違和感を感じないでもないが、国内盤オビに記載された「ニートの神話」という言葉にふさわしい(ふさわしい、と書いておいてナンだが「ニートの神話」て意味不明やなあ…)ジメジメした世界が、逃避願望をネチネチと綴った歌詞のみならずサウンドからもドロドロと流れ出ていて、この煮え切らない音世界はこれはこれでアリ、というか、結構好きかも知れん。

RushのAlex Lifesonが“Anesthetize”でギター・ソロを弾いているが、Rushとは全く異なるサウンドメイクが施されていて“Halo”におけるAdrian Belewのソロと比べると「作品の1パーツ」感が強い。ここでAlexをわざわざ起用した意味がよくわからんほどに閉鎖的で「地に足の着いていない」音だ。

アルバム全編においてこの内向的な低いテンションは堅持されており、フラットな音の流れに身を任せてみるのも意外に心地よい。個人的には全く期待していなかった分、お買い得感の強い買い物になった。

あ、プログレッシャー向けに一言申し添えておくと“Way Out Of Here”に我らがRobert Fripp翁がサウンドスケープで参加しているが、存在感はAlexに負けず劣らず希薄です。ま、サウンドスケープですから。

2007/04/30 Mon. 01:39  edit

Category: CD/DVDレビュー:P

Thread: 洋楽CDレビュー - Janre: 音楽

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